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2006年 07月 10日
六甲山シリーズであまりにもテンションが高くなったので、いつもとは違う、アート風の写真にチャレンジしてみた。
何とか流れを変えてみたい、というのが正直なところ。 そうでないと、このままでは、夏山、冬のアルプス、ヒマラヤへとエスカレートしかねない。 いくら足で稼がないと、好い絵は撮れないとは言っても、確かにそういう面もあるが、そればかりではないだろうという気持ちがある。 私の場合、写真を撮るということはは、美しいものに出合って、心が震えて、それを写真に撮るということだろうか。 それは今まで見慣れていたものが、光を得て輝いていたり、いきいきしている場合であったり、ドキッとしたり、全く新しいものに出会ったり、と色々な場合があるが、気持ちが動くことが一番の動機となっている。 それは、むしろ、皮膚感覚に近いかもしれない。 それがなければ、どんなに美しいと言われるものを撮っても、自分で見て感動しない。 自分で心の動かなかったものは、人に見てもらっても、共感を得ないし、自分で感動したものは、たとえ人が無関心でも、大事にしたい。 ただし、これは独りよがりと紙一重の話で、いつでも謙虚に人の意見を聞く耳を持っていたいし、逆に、安易に人の意見に流されないように、自分の気持ちをしっかり持っていたい、とも思う。 ひとつ不思議なことがある。 撮り終わった写真は、すでに自分の物ではなくなっている気がするのである。 何度でも、同じ写真を撮れるような気が、全くしない。 たまたま、色々な条件が重なって、そのシーンに出会い、シャッタを押してはいるが、それはその写真が、私のカメラを借りて現れたような感覚で、わたしはお手伝いをしたに過ぎないと感じる。 すごい、と自分で思った写真は特にそんな感じがする。 ”写真を撮るには、あらかじめ、こうと強くイメージして、そのイメージ通りになるまで、辛抱強く待つと、そういう瞬間が必ず来るのだよ”という教えがある。 ”あらかじめ考えて、思ったとおりに、思ったとおりの写真が撮れたら、そんなつまらない写真はない。ものが語りかけてくる言葉を聴いて、自分がなくなったとき、いい写真が撮れる”と言った人も居る。 全く正反対のことのようだが、どちらも正しいように思う。 少しでも、そういう境地に近付きたいと思っている。
by j_capacity
| 2006-07-10 21:30
| エッセー
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